【神回レビュー】リーガルハイ1期 8話【感想】

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最近、私はネットで「一番よく出来たアニメやドラマのお話とはなんだろう」とたまたま話しているコミュニティを見かけた。このブログで私はアニメの神回についてまとめてみたことがあるが、ドラマの神回というのを考えたことはあまりなかった。もちろん候補はいっぱいある。『踊る大捜査線』『半沢直樹』『仁-JIN-』数を挙げればキリがない。

そんな中で私が一番最初に思い出したのが『リーガル・ハイ 8話』だった。今日はその印象に残っている回をちょっとばかり語っていきたいと思う。

私的総合評価:SS(99点)

脚本:★★★★★
演出:★★★★★

【評価・点数】SS(99点)

あらすじとか

リーガル・ハイ 1期 (2012年)

第8話「親権を奪え!天才子役と母の縁切り裁判」

脚本 演出 特別ゲスト
古沢良太 城宝秀則 中村敦夫(清蔵)
小沢真珠(メイ)

天才子役・メイ(吉田里琴)が、所属事務所社長で母親の留美子(小沢真珠)と縁を切りたいと古美門(堺雅人)に相談。古美門は、黛(新垣結衣)に止められるも快諾する。一方、留美子は三木(生瀬勝久)に弁護を依頼。審問の日、三木の御意見番として古美門の父で元検事の清蔵(中村敦夫)が現れる。

引用元:ザ・テレビジョン

※この記事では「黛(まゆずみ)」が読みにくいため「真知子」として表記させていただきます。

親子の確執を描いたお話で、天才子役である娘とその母の親子関係を決裂させてほしいと古美門弁護士に依頼が舞い込んでくるというなかなか骨のある導入から始まります。

さらに面白いことにいつもは裁判での勝利のために裏で犯罪スレスレの行為をお構いなしにやってのける古美門の過去が少し明らかになったり、古美門が初めて感情剥き出しにしながら勝利を目指すといった異色のエピソードです。物語の終盤に向けてシュッと引き締める重要な回でもあります。



問題のある導入シーン

真知子「何ていい子なんでしょう!」(テレビドラマのメイを見て)
古美門「フン。」
真知子「なにか。」
古美門「成功する子役なんて二通りだろう。大人の金儲けのために鞭打たれる哀れな操り人形か。大人の顔色を見て手玉に取るませたクソガキか。彼女は一体どっちだろうねえ?
真知子「どちらでもないと思います。」
古美門「数年後にはチンピラタレントとデキちゃった結婚するか、年寄りの愛人になっていることだろう。」
真知子「服部さん!この方は子供のときからこうなんでしょうか?」
服部「さあ。いや、私は先生にも無垢なる少年時代があったであろうとそう思いますがね。」

~回想~

幼少期・古美門「あんなものはおもちゃメーカーの策略に踊らされたバカな大人たちの自己満足イベントにすぎないんだよ。一度寝たふりをして薄目を開けているといい。忍び足で枕元にプレゼントを置くお父さんのまぬけ面が見られるだろう!」

この回は子役がメイン級の扱いで出演するんですけどこんなこと言っていいのでしょうか・・・。古美門の発言がどれも危険で際どいのに、的外れどころか絶妙に真実味を帯びているから大変困るw

それに回想に入ったと思ったら「サンタクロースなんかいない!」とキッパリ友達を問い詰めるシーンまで・・・幼少期の無垢なる古美門というか今の古美門そのまんまではありませんか。



古美門親子の確執

清蔵「なぜそんなことを言ったんですか?」
研介「本当のことだからです。嘘を信じてる方がバカだからです。」
清蔵「サンタクロースが存在しないという根拠は?」
研介「だって、嘘だから。いないものはいない。」
清蔵「根拠を示しなさいと言ってます。」
研介「見たことないし。」
清蔵「自分が見たことがないものは存在しないというわけですか?」
研介「僕だけじゃなくて、世界中誰も見たことないです。」

清蔵「世界中の人にインタビューしたんですか?サンタクロースが存在しないという根拠は?君は根拠もなしに勝手な見解でクラスメートを傷つけたわけです。文天堂に行ってカステラを買って今すぐ謝罪してきなさい。ちなみにそのお金は君のお年玉のために用意してたものなので、そのつもりで」

威勢のいい幼少期・古美門を見せられたと思ったらいきなりコレ。急降下もいいところ。

しかも「ああ。。」と見ている側が頭を抱えてしまうような会話内容です。ダダこねてる子供に向かって悪魔の証明を求める親とか想像するだけで面倒くさい。責任の取らせ方も子供へのご褒美を減らす形で取っているため性格を捻じ曲げようとしている風にしか見えない。

一応、父・古美門清蔵は厳格な親ということになってますが、必要以上に突き放すのは児童虐待の一種として考えてよいと私は思います。これでクリスマスをちゃんとこなしている父親であれば別に文句はなかったのですが、この後に続くシーンがねえ・・・。

清蔵「頭の悪い子は嫌いです。どうせ中途半端な人生を送るなら、家名を傷つけないようにどこか遠くへ消えなさい。

幼少期・古美門「いないのに。サンタクロースはいないのに。」

泣きながら「サンタクロースはいない」と言い続ける幼少期・古美門を見て悲しまずにはいられない。ここで古美門が泣いているのが結局全てなんですよ。別にクラスメートに悪態付きたいわけじゃない。サンタがいない主張を否定されて悲しいわけじゃない。自分が父親からクリスマスプレゼントもらえない理由を正当化しているだけ。たったそれだけなのに、それすら親から全否定される古美門があまりにみじめでならない。

古美門家は金銭的には恵まれていますがここまで偏った育て方をされてグレない子供がいるとしたらそれはキリストかマザーテレサレベルの聖人でしょう。

いや、彼らだってよくよく考えてみれば幼少期に愛情を注がれたことで聖人となったかもしれない。キリストやマザーテレサが親から虐待されて育っていた場合、彼らは聖人となれただろうか。清蔵の教育があったことで少なからずひねくれさせられた古美門に対して「ひねくれてる」と指摘するのはお門違いではないだろうか。なあ?まゆずみ先生よ。



サンタクロースの重要性

古美門「サンタクロースをいくつまで信じていた?夜中に不法侵入してきて荷物を置いていくという老人のことだよ。」
真知子「私は今も信じてます。」
古美門「何だって!?君の愚かさはいつも予想の上を行くねえ。」
真知子「本当にいます!」
古美門「もういい朝ドラの家庭はくだらないな。服部さんはいかがです?」
服部「私の少年時代にはサンタクロースというシステムがございませんでした。」
古美門「それは失礼。」

メイ「私は信じたことない。私はサンタなんて一度も信じたことない。」

古美門「必ず勝とう。」

古美門がサンタクロースはいなかったという悲しい過去をメイと共有し、共に戦い切ることを誓うシーンです。しかし、あまりにもつらい。つらすぎる。

事実だけで判断すると「クリスマスをすっぽかされただけ」なので、大人が見るとそんなに根に持つことか?と思ってしまう意見ももちろんわかります。ただクリスマスは子供にとっての一大イベントであることを忘れてはいけません。

ここのシーンを見てるとあの名作アニメのとあるワンシーンが思い出されますね。

ジョナサン「8歳と9歳と10歳の時と、12歳と13歳の時も僕はずっと!待ってた!
アノーア「な、なにを?」
ジョナサン「クリスマスプレゼントだろ!!

そう!このブログの読者さんであればご存じであろう、クリスマスプレゼントでおなじみ『ブレンパワード(1998年)です。

知らない方に軽く説明すると、『精子バンクの提供によって誕生したため父親の顔を知らず、仕事ばかりの母親に愛情を注がれず育ったと思っている男:ジョナサンが母親:アノーアに思いをぶつける』シーンが上記です。

キリスト教圏の欧米ではクリスマスは家族で過ごすのが基本であるため、子供を一人ぼっちにさせたりするのは育児放棄と見なされる可能性があります。『ブレンパワード』英訳版の収録では現地のスタッフと声優が上記のセリフで精神的ダメージを受けたという逸話さえあるレベル。



クリスマスプレゼントがない虚無感

クリスマスは欧米諸国の文化ですがもう日本でも馴染みのある習慣になりましたね。12月24日の夜に親からプレゼントをもらったり、12月25日に朝起きると枕元にサンタクロースからのプレゼントがある家庭が普通だと思います。いわゆる幸せな家庭のイメージであり作中でも真知子の家庭がこれに当たりました。

このブログの読者の中に幼少期クリスマスのない家庭で育った方がいるかはわかりませんが、もしいたとして、クリスマスの朝にプレゼントがない感覚を普通にクリスマスを経験してきた人間に分かってもらうにはいったいどうすればよいのでしょう

私はクリスマスプレゼントがないという経験を似非的ではありますが1回経験したことがあります。小学校中学年ごろ25日の朝起きたらプレゼントが見当たらず仕方ないのでそのままリビングに行ったら親に「よく探せ」と言われ、戻ってちゃんと探したら布団の下の奥に隠れてしまっていたという経験です。

これ「あって良かったね」の一言で終わる話なんですが、当時は物凄い喪失感や虚無感に襲われました。正直今でもよく覚えているくらい強烈な体験でした。クリスマスプレゼントがないというのは想像を絶する虚無感です。一体なぜか。

クリスマスプレゼントとは色々複雑で幼いころはサンタクロースという謎の人物からの魔法のような贈り物という認識ですが、ある程度成長した後はまた別の大きな意味を持つプレゼントになる非常に厄介な存在です。サンタがいない家庭での幼い子供は、ウチにはサンタが来なくて寂しいなくらいの認識で済みます。

しかし、成長するとどうでしょう。子供はサンタという謎の人物の正体を知るためクリスマスプレゼントが持つ意味は、自分の親が自分のことをどれだけ愛してくれているのかという1つの基準に変化するのです。

クリスマスプレゼントがもらえない状況に子供が直面したとき、その子供はほぼ間違いなく親から愛情をもらえていないと勘違いをするでしょう。

これがクリスマスにプレゼントをもらえなかったときに感じる虚無感の正体です。

そして古美門が親・清蔵との縁を断ち切って生きていくと決めた理由の1つでもあります。

愛情が十分に注がれていたとしても、または実際に注がれていなかったとしても同様で確実に子供がグレる要因となりますからこの記事を読んだ親御さんがいれば注意していただきたいところです・・・。まあ他で挽回出来る親ならいいけど無駄にリスクを高める必要はない。

そしてこれをまず母と娘の対立として描き、父と息子の対立と重ねつつ、真正面から描き切る『リーガルハイ』の凄まじさたるや、なんですよね。

どう考えても制作スタッフの頭のネジがぶっ飛んでいる。



母の自殺未遂を経て・・・

真知子「やっぱり行った方がいいんじゃない?」
メイ「命に別状ないから。」
真知子「お母さんが自殺未遂したのよ?」
メイ「そんな大げさなものじゃないって。」
真知子「でも親子なんだから」
メイ「うるっさい!!!私は行かない。絶対に行かない!!」

古美門「12歳の子が母親と断絶しようとしている。内心どれほどの苦悩を抱え、血を吐く思いをしているか君に分かるか?二度と薄っぺらい言葉を吐くな。

力のない正論ほどうんざりするものはない・・・。愛情あふれる家庭で恵まれながら育った人間に一体何がわかるのでしょう。答えはもちろん「何もわからない」。わかるはずもない。だって真知子は弱き者を守るために弁護士になったので、弱き者vs弱き者における戦いではどっちを助ければいいのか全く判断できないから。(当然どっちも助けようとする。)

口を開けば幸せな笑い話がいくつも出てくる真知子さんは今回徹底的に蚊帳の外ポジションで、それどころか怒りに火をつけてしまったり、神経を逆なでしちゃってます。

最後の審問

清蔵「親子手を取り、互いに更正する道を探るべきです。」
古美門「不可能です。お互いの依存関係を断ち切らなければ治療も更正も図れません。」
清蔵「親子の絆は深くて強い!」
古美門「深くて強い絆だから困難なんです!成功は欲望を呼び、欲望は破滅を呼ぶ。自らの存在が母を不幸にすることをメイさんは知っています。」

メイ「お母さんには、私のこと忘れて自分の人生を歩んでほしいです。でも、いつかまた一緒に暮らしたい。私のお母さんは、宇宙に1人だけだから。」

もはや誰の審問なのかわからなくなってきた。古美門が清蔵に思いのたけをぶちまける場面でしたっけ。それくらい熱がこもった名シーンです。

ここまでずっと相手の不利な証拠集めや強引なまくし立てによって勝利を得てきた古美門が、きれいごとだけではどうにもならない深刻な親子の依存関係について感情論で必死に訴えかける。



「息子はいません」

古美門「東京駅なら逆方向ですよ」
清蔵「スカイツリー、見てきましたよ」
古美門「想像よりずっと大きかったでしょう?」
清蔵「いや、東京タワーの方が大きかった。はるかに」
古美門「・・・」
真知子「また、東京へいらしてください。色々ご案内します、息子さんと」

清蔵「息子はいません」

最後の「息子はいません」って言葉、、深いねえ。深すぎる。

一見すると清蔵が古美門に対してバッサリと切り捨ててしまっているシーンに見えますが、そういうことじゃないんです。清蔵はこう返すしかないんですよ。

もしここで清蔵が息子・古美門研介を認めてしまえば、『昔の古美門が苦悩と戦いながら、血を吐く思いで親子関係を断ち切ったこと』が無駄になってしまいますから清蔵は「息子はいない」と貫き通すしか選択肢がないのです。

古美門が当時どんな思いを抱えながら父親との縁を切ったのか、メイの審問にて私情だらだらの答弁を展開したため清蔵へ思いは伝わっているはずですし、『お前は私の息子だ!』なんて今さら言えるわけがない。

良くも悪くも素直な真知子の直球かつ無神経な一言に、清蔵が分かり切った返答をさせられる悲しいシーンなんですわ。まあ自分がした仕打ちに対するものなので同情の余地はないですけどね(笑)

あとは古美門がどれだけ清蔵の思いを見抜いているかという考察。古美門は他人の感情をくみ取ったり揺さぶったりするのが非常に上手いですから、現段階ではどこまで清蔵を理解しているのかなといったところ。それとも単純に親の心子知らずなのか。



清蔵からのクリスマスプレゼント

服部「古美門先生には素晴らしいプレゼントを送り続けている素晴らしいサンタクロースがいるかもしれませんよ!素晴らしいプレゼントは目の前に!」

最後の最後にやってくれるなぁ~って感じw

私の中では若干のサイコパス疑惑も掛かっていた清蔵パパですが、ここに来てやっとまともな親っぽいところが見えてきます。引っ張りすぎだろ!

親は例えどんな親であっても子供のことが心配でたまらないっていう『リーガルハイ』からのメッセージですかね。特にこの場合だと自分にとってはものすごく大切なものではあるけども、あえて自分から遠ざけておく感じ・・・何かを思い出す。。

はい、このブログの読者なら知っているであろう大名作『コードギアス 反逆のルルーシュ(2006年)におけるシャルルとマリアンヌの思想ですね。「大切なものほど遠くに置いておく」、いやいや置かれてる側は堪ったもんじゃねえっつの。ちゃんと愛しておくれ。まったくどいつもこいつも癖のある親ですよ、、ほんと。



総括

ということでちょっと昔のドラマですが今更ながら振り返ってみました。もちろん、あくまで私が思う考えをつらつら述べただけなのでみなさんにはみなさんの色々な意見があって良いと思います。

それにしてもよく出来ているドラマですわ。やっぱり古沢良太の脚本は素晴らしいね。

最後は『ブレンパワード』の言葉で締めたいと思います。

ジョナサン「(親が)勝手に想っているだけの想いなど、子供に伝わるわけがないだろう。

『リーガルハイ』にはここまで言及して欲しかったかな。これを言ってくれてれば文句なしの100点だったと思います。まあ後味悪くしたくない制作の考えもわかるので99点って感じ。

そんなこんなで、今回の記事は少し長くなってしまいました。

それではまた。



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